「大国の思惑」考

なんだかんだと言ってみたところで「報道ステーション」はよく観賞します。古館伊知郎さんのぐわーんと背伸びしたコメントと、内心間違いなく古館さんを小ばかにしている加藤千洋さんの表情を見るのが楽しみです。

ところでこの古館さんは正義の味方を気取っていらっしゃるのか、ことあるごとに「大国の思惑」とやらに批判的な指摘を行います。例えば先日のコソボ自治州独立宣言。米欧とロシアの狭間で翻弄される小国に同情し、列強の自己中心的な行動を論難します(できてませんが)。

みのもんたさんと並ぶくらいに、この方は感情と印象論でものを言います。大国の行動=悪、小国=同情の対象。このように単純明快な図式を、調査や取材や論理ではなくイメージで形成してしまうところに、「メディアの自殺」を垣間見る心持です。



この世界をよくよく見回してみれば、その動静は大国の思惑か市場原理によって少なくない部分が説明できる、ここをまず理解せねばいけないと思います。

1.世界は大国の思惑で動くという現実を認識する

こういった態度はしばしば現状肯定的だと非難されます。たしかにここで終わればあまりに投げっぱなし、無責任な言論でしょう(ブログなんてそもそも無責任だけどさ)。

ではその思考を、もう少し先に進めてみましょう。

大国の思惑で動く世界ということですが、それによって莫大な不正義と不利益が生じる場合、仮借ない批判をそこに加えるべきことはいうまでもありませんが、一方で、この世界には大国に一瞥すらされない地域がたくさんあるということ、この事実をも同時に思考の枠内に収めていかねばいけないと思います。

メディアは大国のなんちゃらを批判するだけではなく、こういった地域へ如何にして大国の思惑を向かせるか、これを考えるべきです。

幸いなことに、このように批判される国家の多くは成熟した議会制民主主義国家です。

民主主義国家は世論に逆らえませんから、メディアの行動次第で大国の思惑とやらをコントロールすることは、ある程度可能であるばかりか、その大切な役割ですらあると思います。

2.大国の思惑をうまくコントロールする術を考える


ただやみくもに感情的な言辞をぶつけるだけでは、かえって現状肯定的な態度と言うべきではないでしょうか。


動かしがたい現実があるならば、それをドラスティックに変える方法を考えるのではなく、あるがままを受け入れたその上で、現実に少しずつ改良を加えていく方法を考えるほうが少しは前向きだと思います。


とは言うものの、海でおぼれている人がいた時に、ライフセーバーが寄り集まってその人を助ける最も効率的にして合理的な方法は何かなんて、顔をつき合わせて考えているようではダメなんですよ。


現実の正確な性格を瞬時に見極めて行動することも大切なんです。おほ、矛盾している。