言葉の独りある紀

はい、すべるにすべりきれない下手くそな題名でごめんなさい。軽挙妄動の人、鳩山邦夫法相が懲りずにまた失言を重ねたそうです。しかし今回は、どうも一筋縄ではいかない様子。以下の、東京新聞の記事をご覧ください。

鳩山邦夫法相は十三日、法務省で開かれた全国の高検、地検のトップが集まる検察長官会同で、鹿児島県議選をめぐる「志布志事件」の無罪判決に言及し「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではないと思う」と述べた。最高検は昨夏、同事件について捜査上の不備を認めている。無罪が確定した元被告らの「無実」に司法行政のトップが疑問を呈したとも受け取れ、批判が集まるのは必至だ。 

 鳩山法相は十三日午前、会同でのあいさつで、「個人的な見解だが」と前置きして事件について言及。志布志事件は冤罪にはあたらない、との認識を示した。その上で「あのようなことが起きたのは誠に残念であり、十分な反省の上に立って、一層活発に、積極的に検察官としての活動をしてください」と述べた。

 鳩山法相は同日午後、自らの発言の趣旨について「冤罪という言葉は、全く別の人を逮捕し、服役後に真犯人が現れるなど百パーセントぬれぎぬの場合を言い、それ以外の無罪事件にまで冤罪を適用すると、およそ無罪というのは全部冤罪になってしまうのではないか」と釈明。「踏み字など捜査上問題があり、被告とされた方々に大変なご迷惑をおかけしたという痛切な気持ちは持っている」と補足した。

最初にこの発言を耳にしたときは、鳩山法相が志布志事件の被告たちに下された無罪判決を、まさか否定したのかと思いました。グーグルの記事検索機能を使って調べてみると、どうやら厳密にはそうじゃないらしい。

この事件は、警察・検察の捜査過程における不手際が引き起こしたものであるというのは分かっているが、自分の考える冤罪とは少し違うんだ、ということを鳩山法相はおっしゃりたかったのでしょう。

普通に考えれば、この志布志事件の被告は無実の罪を着せられた、つまりは冤罪であり、法相の認識はそれに関して間違っていたということなのですが、率直に考えれば、ただそれだけ、ということもできますよね。

法相を擁護するわけでは断じてありませんが、今回の件は少し言葉が独り歩きしてしまったのかな、という感があります。

ただ、そういった言葉を独り歩きさせてしまう法相の雰囲気というのは、いかがなものでしょう。

「ああ、この人ならいかにも言いそうだ」

多くの方はそう感じたでしょうし、わたしもその1人です。


とはいうものの、果たして東大法学部まで出ておられる方が、冤罪について間違った認識を確かに持っていたのか、という疑問はわいてきます。法相の本意を少しだけ勘繰ってみれば、実は大勢が感じているようなことを本当は考えているのではないか、とも感じられてしまいますが、真相はいずこ。もし冤罪がなんたるかを理解していないのなら、それだけで法相失格ですね。被疑者取調べの透明化なんて望むべくもなし。

どっちにしても、ダメってことです。


離婚後300日規定に関する見解や、私の友人の友人がアルカイダ発言、(辺見庸的に言えば)自動死刑執行装置の提案などなど、この方は大臣というより、そこらの床屋政治談議にこそふさわしい素質をもっておられる方なのであろうことは疑いないですね。過激な発言により場が盛り上がること必至ですし、きっと周囲のオピニオンリーダーになれることでしょう。

さりとて、その発言に慎重さ、正確さ、見識の深さ、そして何より政治センスが露ほども感じられない点を考慮すれば、その能力は床屋談義の域を半歩たりとも出るものではなく、政治家の言葉が持つ意味を理解できないこのような方には、そうそうなるご退場を願いたいものです。



※取り調べの一部に関しては、試験的に録音・録画が導入されているようです。裁判員制度が始まるのに合わせたものだということです。