いわゆる給付金…GDPを0.3%程度押し上げる??

カレンダーの上で年が変わることの、一体どこがおめでたいんですかね。

昔は年の取り方が「数え年」で、年が変わればみんなが等しく1つずつ大人になっていました。年を取ればそれだけ大人に近づき、一人前としても認められるようになるのですから、これはおめでたいはずですよね。

あけましておめでとうございます。


それはともかくとして、給付金である。総理や大臣が受け取るだの受け取らないだの、まるで近所のおばさんが「遠慮しないでよお」「ええ、なんだか悪いわあ」と言い合っているあの光景を想像してしまう。

この給付金には、麻生首相いわく0.3%程度のGDP押し上げ効果があるという。

GDPというのはたいへん大雑把に表現すれば、ぼくら(政府や企業や家計)が支出したお金の合計額のことを言う。


日本のGDPは約500兆円だから、その0.3%というと約1兆5000億円。給付金の約7割が消費行動に費やされると、そう見積もっているということなんだろうか。

来年は、というより今年は、日本はもとより、欧州、そして米国が同時にマイナス成長に陥るという、大変な年になると予想されている。

しかしマイナス成長と言っても、それはせいぜい1%程度であって、そんなに騒ぐことなのかいなとぼくはいつも思う。500万円の所得が495万円になっても、そんなに問題ないじゃん。

しかもGDP計算には「統計的不突合」という、まあ言ってしまえば計算ミスが出ることが頻繁であり、その額は通常なんと約5兆円にも達するのだという(あの“三面等価の原則”が厳密には成立しないということ)。

これは日本のGDPの約1%分に相当する。

つまりGDPというのは限りなく怪しい概念で、その数値を水増しできる効果が期待できるから給付金を実施しようなんて、とても納得できる理由じゃない。

GDPにばかり執心していたら、おそらく経済のほんとうの姿というのは一向に見えてこない。

中小規模企業の資金繰りは火の車で、明日の寝床の無い労働者が巷に溢れ、されど大企業は内部留保をがっぽと溜め込み…2兆円あればおそらく、GDPという仮想現実を補強するのではなく、リアルに苦しんでいる人や企業を相当数助けることができるんじゃないかと思う。

今からでも遅くは無いから、この給付金構想は大胆にご破算としたほうがいい。それくらいの果敢な決断が麻生首相には求められている。

って、それができれば苦労しないのさ。


「危険地帯に入るときは誰でも危険を覚悟しなければならない。だが、そうしてリスクを負う人がいなければ、私たちは進歩できない。世界を前進させることもできない」


もう6年も前のことになるのだろうか、イラクで日本人3名が拉致されたあの事件。たしか、日本の民間人が被害に遭ったその最初の例だったと思う。

国内では被害者とその家族への批判が吹き荒れた。市民感情の暴走とは無縁でいなければならない全国紙ですらもが、被害者の実家の住所を公表するという暴挙に出た。

上記のコメントはアメリカのコリン・パウエル国務長官(当時)によるものである。

ちなみにコメントはこう続く。

「私はこの3人が危険を冒してでも、よりよき目的のために行動したことを嬉しく思う。日本人は彼らを誇りに思うべきだ」


後半はひとまず置こう。麻生首相は何より、今はリスクを負わねばならない。リスクを避けて逃げ回った結果がこの体たらくだ。

給付金構想を撤回することなんて、イラクで人質になった日本人たちの危険に比べれば、屁でもないと思うのだが。