「内定取り消し」考

経済状況の急速な悪化を受けて、新卒学生の内定が次々と取り消されている。厚生労働省は先ごろ、全国の大学ですでに331人の学生が内定を取り消されたとの調査結果を公表した。ただこの数は氷山の一角であるという指摘もあり、これから下半期にかけて一段と景気が悪化すれば、こういったケースが更に増える可能性も十分にある。

文部科学省はこれを受けて、昨日になってようやく緊急対策会議とやらを召集した。この期に及んで何が緊急なのかと、甚だ残念に思う。拙速に過ぎる対応だ。

これから対応策を練り、その具体化が図られ、そして実施に移されるのは、時期として更に後のことになるだろう。

ある本で、こんなたとえ話が紹介されていた。

海で溺れた少年がいる。その子の母親がライフセーバーに助けを求める。ライフセーバーは少年を救うべく急いで海に飛び込む…のではなく、いったん他のセーバーと共に海の家へ集合し、少年を助けるもっとも効率的で合理的な方法を、スイカでも食べながらああだこうだと議論する。


官僚にとっていわゆる「行政指導」は十八番のはず。この内定取り消しは法律的に認められない、あるいはこの金額(手切れ金)では少なすぎる、と一言申し述べれば、企業はすごすごと引き下がるのじゃないか。

業界保護とか企業保護とかいう名目で及び腰になっているなら、それは言語道断だ。業界とか企業とか漠然としていて捉えがたいものを守るのが優先で、目に見えて苦しんでいる学生を助けることすらできない行政に、いったいなんの意味があると言うのだろうか。


しかしつくづく思うのは、政府の対応と比して際立つ学生の逞しさだ。労働組合と結託して団体交渉に臨んだり、就職先を斡旋してくれる企業と接触したりするなど、自分で主体的に事態を打開しようとするその姿勢に感銘する。自分が同じ立場にたたされたら(その可能性はゼロではないが)、いったいどこまでやれるのだろうか。

それはともかく、彼らはハナから政府の支援など期待していないのだろう。こういった醜態を見せ付けられてはそれもむべなるかな。


隣国の韓国の学生は、政府への依存心・期待感というものが比較的強い。政府へ就職先の創出や雇用の促進を強く期待している。だいぶ日本の学生とは考えが違うものだ。


自分も日本の学生だから言うのだが、ぼくらは欧米やアジアの学生たちと比べ、精神は堕落していて、勉強もせず遊んでばかりで、しかも依存心だけは強大で自主自立の気風に乏しく(福澤諭吉の言うように)、できる限り楽して暮らせる方法は無いかと日々思案に耽っている、というどうしようもないイメージで捉えられてしまっている。

上記は少し極端だが、そんな横綱級のダメ若者なんて、本当はほんの一握りで、大多数はまじめにかつ自立的に生活を送っている。


政府の対応策にはさほど期待できないが、1つだけ注文をつけるとすれば、それは今後も活かせる対策を立案していただきたい、ということだ。

こういった内定取り消しの多発は、今回が初めてではない。10年前の金融危機の際も、今より大きな規模で取り消しが相次いでいた。

そのときに政府がいかなる対応をとったのか感知していないが、どうやらその経験は生かされていないらしい、ということはよく分かる。

企業が学生の内定を取り消す際のガイドラインを、できるだけ明確な形で構築しておくことを提案する。

もちろん企業にも経営的な事情はあろうし、そこは十分に斟酌せねばならない。無理して新卒を雇い入れて、会社がつぶれてしまったのでは元の木阿弥だ。

ただ目下は、学生への就学・就活継続支援、これを拡充すること。加えて内定を安易に取り消した企業の名称や財務状況をあますところなく公開し、社会的な制裁を与えること(取消しの抑止にも繋がるか)。

これらが取り急ぎ求められる。


ある本

つっこみ力 (ちくま新書 645)

つっこみ力 (ちくま新書 645)