そこに山があるから

朝起きたときから降り続いていた雨は、午後には止んだ。時には晴れ間も差し込むくらいに、天候は回復した。

買い物に出かけようと、自転車に乗って、いつもの道を北へと進む。ふと山のほうへ目をやると、頂が白かった。

平地に降った雨が、山の上では雪のまま積もって、筑波山はうっすらと雪化粧を施していた。その姿が、自分にはとても綺麗に見えた。

どこか、山を遮るものがなく、かつその全体がよく見渡せる位置で写真を撮りたい。適当な場所を探すうちに、どんどん山へと近づいていた。知らない脇道へ入り込み、舗装されていない農道をひた走った。

しかし見れば見るほどなんとも印象的な情景だった。もっともっと近いところで目に焼き付けたい。山頂へ、実際に足を運んでみよう、こう思い至るまでに、多くの時間を必要とはしなかった。

筑波山の山頂へ到達するには、足で登るか、それともケーブルカーやロープウェーを使うか、この2つがある。もっとも足で登る用意はないから(まして雪が降り積もっている)、必然的に選択肢は後者に絞られる。

ロープウェーの駅はとてもとても自転車で行ける距離ではないので、ケーブルカーを使うことにした。

ケーブルカーの駅は筑波山の中腹にあるのだが、そこまでは自力で到達しなければならない。

筑波山神社のある中腹からふもとにかけて、家々が細長く立ち並んでいる所がある。その住宅地を通る急な坂道を上り、途中の小さい公園で自転車を停め、そこからは徒歩だ。

この辺りの家々からは、関東平野が一望できる。時折後ろを振り返って景色を眺めつつ、登坂に伴う尋常じゃない疲労をそうして少しずつ癒し、ノリでここまで来てしまったことを多少悔やみながら、やっと神社へ辿り着いたのは、午後4時を少し回った頃だった。

期待に胸が膨らむ一方で、ケーブルカーがいったい何時まで走っているのか、ずっと不安に感じていた。時刻表によるとまだ終電は出ていないようだったが、駅でスタッフの方に聞くと、山頂付近を散策できるのは10分程度とのことだった。案の定、次が最終だった。

ここまで来ておきながら引き返すのは、あまりにもったいない。往復の券を買い、ケーブルカーへと乗り込んだ。中を見回すまでも無く、乗ったのは自分1人だけだった。

ケーブルカーが鈍い音を立て、振動と共に動き出した。山頂の駅まで、約8分の道のり。

途中のトンネルを抜けて1分も経たないうちに、「雪の華」が辺り一面に広がった。木々の枝に積もった雪を、花に譬えてそう呼ぶらしい。

それはともかく、山頂は想像以上に白一色だった。とりあえず数枚を写真に収めた。雪にも触れた。かたすぎず、やわらかすぎず、しっとりとしていた。しかし降り落ちた雪の大半は、新雪となったのもつかの間、ほとんどがもう氷の膜となって地面を覆っていた。

ひとしきり満喫すると、ケーブルカーへ戻った。車内には、ご婦人4人組のグループと、1組の男女がいた。この男女のペアにはもう1人連れがおり、そして家族であることが会話の端々から推測された。

山頂へ留まっていたのはわずか10分足らず。仕方の無い事とはいえ、やはりいささか不満が残った。ただよくよく考えてみると、あそこに何分何十分いようと、きっと帰るときには、多少なりとも心残りを感じているのだから、と、思い直して納得した。なにせいつもそうなんだ。


冬は日の落ちるのが早い。すでに夜景を望めるような空色となっていた。


真っ暗な道を独りで帰るのは心細かったが、薄明の空と、都心の高層ビルすら遥かにかすむ、関東平野の夜景をひとりで見るのは、正直なところ、実にもったいないなあという心持ちだった。


誰が言ったのか失念したけれど、感動には2種類あるという。他人と分かち合いたい感動と、自分の内だけにしまっておきたい感動と。

たしかにそうかもしれないが、後者は分かち合う対象がいない人の僻みなんじゃないかと、帰り際、そう感じた。




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