拉致問題と日本外交のリアリズム

田母神論文に対するメディアの報道にはもう飽き飽きした。いい加減な歴史認識(それはそうだけど)だとか、文民統制の揺らぎだとか、果ては自衛隊決起の可能性ありとまで言い始めた。

どこのテレビ局でもいいから、田母神さんを直接スタジオに呼んで話を聞いてくれ。そうすれば、当人不在の場所で不毛な議論を展開する愚だけは避けることができる。


北朝鮮に拉致された市川修一さん(当時23)の母、トミさんが亡くなられた。91歳だった。

拉致された市川さんは、平成14年に行われた日朝首脳会談の場で、北朝鮮当局より「死亡」が伝えられた。

しかし亡くなったトミさんはその報告を信じず、毎年市川さんのスーツを虫干しし、また新築した家には市川さんの部屋を設けて、いつ帰国されてもいいように準備を整えていた。

その願いは空しく、トミさんは亡くなった。天国で果たして息子さんと再会できたのだろうか、それとも…北朝鮮の卑劣は許せるものではない。


アフガン戦争にイラク戦争と、日本は米国の「対テロ戦争」に全面的な支持を与えてきた。それと同時に“湾岸のトラウマ”を繰り返さないため、戦費負担に止まらず、自衛隊の派兵など実際的な支援措置も講じてきた。

戦争の大義に開戦前から重大な疑義が呈されてきたイラク戦争であったが、日本は先進国中で最も早く、攻撃への支持を表明した。

大義が完膚無きまでに崩壊した後も、その反省や総括がわが国で行われた形跡は存在しない。

また、たとえその大義が限りなく怪しいものであったとしても、中国や北朝鮮という安全保障上の不安定要因を抱えている限り、日本はアメリカに協力せざるを得ないという議論が、大手を振ってまかり通っていた。

それは今も同じだ。保守系の国会議員やマスメディア、学者や文化人はことあるごとにそう言う。


しかしながら、日本がアフガンやイラクへ莫大な戦費を投じて自衛隊を派遣し、そしてイラクでは日本人外交官2名が犠牲になっておきながら、日本は何らかの対価を手に入れたのだろうか。

自分は日本外交の現場を知らないが、アメリカからリップサービス以上の何かを得たという話を聞いたことが無いし、見たこともない。あまつさえアメリカは、ついに北朝鮮テロ支援国家指定を解除してしまった。


日米安保体制を維持するため、日本はアメリカに協力せねばならない。この主張は一見正しいように見える。ところがその実、日米安保は本来の枠を超え、いつの間にか日本はアメリカの世界戦略に自らずるずると組み込まれて行き、その一方でおそらく何のリターンも得られていない。


アメリカはアメリカ自身の利益を第一に考える。むしろそれしか考えていないし、これは当然でもある。アメリカに恩を売っておけばいつかどこかで返してもらえる。この誠に恩着せがましい日本外交の思想は実に幼く、その権化である小泉純一郎の外交は頓に稚拙だった。

日米安保体制は確かに重要だ。日本外交の軸と言っても良い。だからといって、日本はアメリカの行く所、どこへでも馳せ参じなければならぬという訳ではない。これでは同盟どころかまるで主従関係だ。

カナダはイラク戦争に反対し、派兵もしていない。もちろんカナダと日本の安全保障環境は大いに異なるから、一概に比較はできない。


日本外交は自立せねばならぬ。まずは独力で問題を解決しようとする姿勢を見せることが大切だ。完全な国内問題である日本人拉致問題で、アメリカが協力してくれると考えるほうが甘いのだ。自分たちの問題は自分たちで何とかする。できそうに無いとき、はじめて支援を乞えばよい。

己で事態を打開しようとする積極的な態度が一向に窺えない。非常に残念だ。


最後に一言。日本人拉致問題に関する北朝鮮の行動を非難しておきながら、他方でアメリカ追従の外交姿勢を改めない、またそういった外交を評価する行為は、欺瞞でありそして矛盾でもある。

アメリカのすることが「現実」で、それを受け入れることしかできないという意味での日本外交の投げやりなリアリズムは、直ぐにでも改めねばならない(藤原、2007 参照)。


豪華な料理が食べられると勝手に思い込んでのこのこと付いていったら、食事は1人分しか用意されていなかった。

そんなのご免だ。