続・田母神論文

正直に白状します。前回のエントリーを執筆した時点では、くだんの田母神論文は未読の状態でした。

田母神氏が参議院参考人招致される前、機会がありやっと全文を読むに至った次第です。


前回自分は、この論文の主張を歴史的事実から大きくは逸脱していないと書いた。論文の内容をひどく単純化したゆえの結果だったと思うが、もとよりシンプルにまとめてある新聞記事のみを参考にしたのだから、当然の成り行きではある。自らの不明を恥じるばかりだ。なんて。

じつは実際に読んでみても、こんなに目くじらを立てるような内容とは思えなかった。もちろん、明らかな事実誤認や自説に都合の悪い歴史的経緯の無視、また実証を怠った傍説の提示など、「論文」としては完全に破綻している。

右翼のおじちゃんが酒場で日本酒片手にぶちあげる歴史のお話といった風情で、まあ良くてもそこに専門用語をちりばめる事で知的な装いを無理してまとわせました、という感じだから、いわば“社会派バカ”の歴史バージョンで、まあいいじゃないかって思う。バカは死んでも治らないから、あの人はあの思想をお墓まで持っていかれるのでしょう。

でも、ましてや退職金の返納を迫られるほどのことじゃあない。


迅速果敢な辞職の政治決断と、追い討ちをかけるような退職金返納勧告。

ここから透けて見えるのは、この問題が多分に“政治的な”色彩を帯びている、ということ。多分というか、もう完全に政治の世界の問題。

歴史的な真実を追求とか、本当の歴史とか、正しい歴史認識ということではなく、事の本質は田母神論文の内容が村山談話の主張と真っ向から対立するという点にこそある。

これが案外と見落とされているのが気がかりだ。田母神氏が村山談話や小泉談話をなぞるような論文を書いていたのなら、絶対に事態はここまで発展しなかっただろう。当たり前だが。

この村山談話自体が、大した歴史の検証もなされぬまま、中国や韓国との外交的な関係性を考慮した上で、平たく言えばこれらの国々のご機嫌を取るために作られた、高度に(歴史学的には低級な)政治的な産物なのだ。まあ「ぬえ」みたいなものか。

要するにこの田母神論文は、歴史的にどうこう言う前に、何より“政治的に”間違った論文だった。

だからこの論文に対し、歴史認識に不備がありますとか指摘しても、それはナンセンスなのだ。


ついでに付言しておく。これを機会に「政府が」歴史をきちんと再検証すべきであるという主張が散見されるが、一度来た道を、下手すると更に悪い形で通るだけの結果に終わるだろうから、止めたほうがいい。


政治は絶対に歴史の真実を導き得ない。


これは残念ながら仕方のないことだ。政治が公表する歴史など、その時々の状況によっていかようにも変わりうる。

だから政府の歴史認識はそれとして、自分でもきちんと考えていくことが大切…ってわれながら適当だ。

逆に言えば田母神さんも、航空自衛隊の幕僚長をやるような人なんだから、政治的にもう少し敏感であって欲しかった。村山談話に楯突くなんて、野暮もいいとこだ。これがそういう過程を経て作られた物だって、分かりそうなものなのに。


「そんなの関係ねぇ」発言にもあったように、正直な人なんだろう。



【追記】
ちなみに、これはちゃんと読んだ上で指摘するのだが、村山談話は詳細な歴史的経緯について述べたものではなく、日本の大陸進出を侵略と明記し過去の植民地支配を「お詫び」し反省し、不戦の誓いを新たにする内容となっている。

お詫びする必要は無いと思うのだが、まあそれはよい。全体的に真っ当な文言と主張であり、いかにも政治家が作りました、という具合だ。ただお詫び以外の点では、自分も大いに首肯できる所である。

【追記2】
前回のエントリーで「記録としての歴史」と「記憶としての歴史」という話をした。記録としての歴史はおそらく最小公約数的な史実しか保持できず、鍵となるのは記憶としての歴史のほうだろう。

いま私たちはその「記憶違い」の歴史観を持っている人々の間で揺れ動いてるわけだが、例の入江昭先生は、この記憶違いを超克する手段として、国家を前提とした歴史観を乗り越え、トランスナショナル歴史認識を構築すべきと説いていた。

中国人としての歴史も韓国人としての歴史も日本人としての歴史も無く、あるのはただの歴史のみ。国家を無意識に前提して歴史を考えてしまうことが、過ちのもとなのだと。

国家の頚木から歴史が解放されることで、確かに共通理解の土壌は醸成されていくだろうが、やや理想的に過ぎるという感想を抱かざるを得ない。

この国家史を超えるまでのプロセスを示してこそ、ほんとうの大学者だと思うのだが。