次善による最善な生き方

おとついのことだったか、そら恐ろしい夢を見た。

夢の中の自分は就職のことで大きな悩みを抱えている。某巨大通信企業より内定をもらい、その会社へ就職する意志を人事に伝えたものの、本当にそれでよかったのかと葛藤している。

本当は別に行きたい会社があったのだが、そこにはお祈りされてしまった。今更内定を断って、もう一度就職活動をやり直すべきだろうか。この時期(おそらく内定式が終了している)に内定を返上すれば人事に激怒されるだろう。内定を喜んでくれた家族にも申し訳が立たない。そして何より自分のメンツの問題がある。

夢の中では実に深い深い葛藤を抱えていたようで、朝起きた直後もそのハードな精神状態を引きずり、一瞬だけ夢中の悩みを現実世界でも真剣に考えようとしていた。そしてすぐに、自分はちゃんと意中の企業から内定をもらったんだという現実を思い出し、大いに安心した。


いま意中の企業といったが、実は第一志望ではない。内定なんてもらえないと思っていた所から内定が通知され、いけるかもと考えていたところからはお祈りされた。そのいけるかもの企業が、第一志望の会社だった。


自分は今まで、人生の岐路において、第一志望が通ったということがない。

地域で評判が高かった幼稚園は定員オーバーで入れず、ゆえに小学校では幼稚園時代の友人が皆無であった。

高校受験では志望していた県下有数の学校に見事不合格し、件で一二を争う低偏差値の高校に入学した。

大学受験ではぶっちぎりの第一志望であった某私大の政治経済学部を不合格となり、まったく行く気がせずゆえに受験勉強もろくにしなかった某国立大に入学した。

大学生活を左右するといっても過言ではない課外活動の選択においては、手を挙げ損ねて考えもしなかった所でお世話になった。

そして就職活動では、行きたくて行きたくて仕方がなかった企業を最終面接で落とされ、通るとまったく考えていなかった方が通ってしまった。

しかしここが大切な点なのだが、結果的に次善の選択を強いられながら、自分は目下、あまり人生に後悔していない。むしろけっこう満ち足りている気がする。

いうなれば、次善によって最善を生きた、とでも表現できようか。

4月から入社する企業で自分がどういう生活を送ることになるかはよく分からないが、この法則によればどうやら満足できそうだという気が漠然としている。

更に先の未来をこの法則で見通してみる。将来ぼくの配偶者となる人は、自分が本当にそうなりたいと思った人ではないのだろう。また自分は女の子の子供が欲しいのだけれど、実際は男の子だったりするんだと思う。

でもけっきょくはそれで満足して、それなりに幸せな一生を送るのかな。

最初は自分の選択に多少の不満があるのだけど、しばらく我慢してやっていくと、道が開けてくる。むしろ、ここでこの選択をしていなければ、今頃どうなっていたのかな、と不安に駆られることがしばしばだ。そして、自分の選択を自賛するに至る。


ああ、なんだか自分の人生が、いま見通せた気がしてきた。