片手落ちの歴史認識

二日酔いの頭を持ち上げてなんとか読んだ今日の朝刊は、久々に刺激的だった。

パナソニック三洋電機の買収交渉に乗り出し、日本銀行無担保コール翌日物金利(長い…)の利下げに踏み切った。

しかしそれらと同等かそれ以上にそそられたのは、航空自衛隊の田母神幕僚長が「侵略否定論文」を理由に更迭された一件だ。

相手が政治家じゃないとこうも決断が鮮やかなんだねという皮肉の1つも言いたくなるが、それはまたあとでにしよう。「あとで」と「化け物」は出たためしがないのだけど。

以下、毎日新聞より引用する。

航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長(60)=空将=が、日本の過去の戦争をめぐって「我が国が侵略国家というのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)だ」と主張する論文を執筆していたことが31日、分かった。侵略と植民地支配を謝罪した95年の「村山談話」などの政府見解を大きく逸脱する内容。集団的自衛権の行使を禁ずる憲法解釈などを「東京裁判のマインドコントロール」と批判もしており、政府は31日夜、田母神氏を更迭し、航空幕僚監部付とした。

論文は「日本は侵略国家であったのか」と題し、総合都市開発「アパグループ」の懸賞論文「真の近現代史観」に応募。最優秀賞を受賞し、31日にインターネット上などで英訳とともに公表された。

浜田靖一防衛相は31日夜、防衛省で記者団に「先の大戦の評価など政府見解と明らかに異なる意見を公表しており、航空幕僚長としてふさわしくない」と述べた。岩崎茂・航空幕僚副長が空幕長の職務代理を務める。

論文は、日中戦争について「我が国は蒋介石により戦争に引きずり込まれた被害者」と指摘し、旧満州朝鮮半島が「日本政府と日本軍の努力によって、圧政から解放され、生活水準も格段に向上した」と植民地支配を正当化。そのうえで「多くのアジア諸国大東亜戦争を肯定的に評価している。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣だ」と結論づけている。

さらに、自衛隊のあり方をめぐり、集団的自衛権行使、武器使用の制限を挙げ、「自衛隊は雁字搦(がんじがら)めで身動きできない。マインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」と記している。

麻生太郎首相は10月2日の国会答弁で、村山談話と戦後60年に謝罪した05年の「小泉談話」を踏襲する考えを表明。こうした意向をほぼ否定する論文を自衛隊幹部が執筆したことで、アジア諸国の反発が予想される。

田母神氏は防衛大学校卒。71年に空自に入隊し、航空総隊司令官などを経て07年3月から現職。【松尾良】

こんな具合だ。いわゆる十五年戦争の詳細な経緯を叙述するスペースも力量も無いが、この件についていくつか簡潔に指摘しておきたい。

田母神氏の論文は日本の大陸進出を侵略ではないと否定し、また戦時下の軍政を肯定している。典型的な右派の歴史認識だ。模範的なまでの保守的歴史観である。

そのことの是非は問わない。たしかにそういう考え方もあるだろうし、歴史的な事実から著しく逸脱しているとも思えない。個人の思想信条にまで介入することの過ちは指摘されて久しい。

ただこの田母神論文は日本からの視点のみで構成されている。

太平洋戦争は自衛戦争、あるいは天然資源の徹底的な禁輸措置を講じられたから、已む無く大陸へ大規模に進出をせざるを得なかった。

こういう捉え方は確かにあるし、全面的に否定しない。

とはいうものの、他国の軍隊が自分たちの国土へ進駐し、自国の軍隊と交戦し、そして軍政を敷かれたという事実は、被統治者の視点から考えれば間違いなく「侵略」行為である。

あれは侵略ではなかった、自衛のためで他に手は無かった。ここまではよい。しかし、だから何だと言うのだろうか。

自分たちの祖国を守るためにあなた方の領土へ進出したんです、仕方なかったんです、と言い訳をして許しを乞うつもりなのだろうか。

やむを得ず人を殺したんだ、だから殺人じゃないんだ。こういう論理が果たして通用するのか。殺された人から見れば、これは人殺し以外の何物でもない。

ただ、情状酌量の余地があるということは思考の範囲に収めねばならない。そして同時に田母神論文のような歴史的経緯があるのだとすれば、それを分かってもらえるように十分説明する必要がある。

もちろん、彼らからすれば侵略であったという認識を土台として。

少し話がそれてしまった。このように歴史は常に複数の視座から考察せねばならない。

「記録」としての歴史と、「記憶」としての歴史という考え方がある。著名な外交史家である入江昭ハーバード大名誉教授の講演を聴講したとき、教授がおっしゃっていた。

「記録」としての歴史は1つしかない。歴史的な事実としての歴史だ。

一方の「記憶」としての歴史は複数存在する。それは人それぞれ受け方や考え方が異なるという道理に照らせば自明だ。

だからこそ、歴史は複眼的に考えることが必須なのだ。独善的な歴史観固執するのみでは、「記憶」の違う人々と理解し合うことはできない。ここでは相互理解なんてどだい不可能なんだというニヒリズムはひとまず脇に置く。

だいぶ左派的な印象を持たれてしまっただろうから、最後に1つだけ触れておこう。

今を生きる私たちが、過去の戦争犯罪について「謝罪」する必要は無いと自分は考えている。

親や更に見たことも会ったこともないその上の世代が犯した罪を、ぼくらがあやまることはない。今は一族郎党皆殺しの時代ではないのだ。親の罪を子が被ることはない。ぼくらの責任であの戦争が行われたわけではないのだから。

ただ過去を振り返り、不断に歴史を検証し反省することは必要だろう。


それこそが今を生きるわれわれの「責任」である。



【追記】
以上の点から田母神氏の更迭は極めて妥当な判断だったと思うが、ただ氏が日本の国防法制の不備を指摘したくだりはまた別に考えるべきである。

これを文民統制が揺らいだと批判するのは不適当だ。いわゆる文民統制は、軍人が文民の言うことに唯々諾々として従うという単純な考え方ではなく、軍人は文民に自身の専門家としての経験・知識から適切な進言を行う必要を認めている。むしろこうした助言は安全保障の観点からきわめて肝要である。

国民からの信託を受ける文民はそうした助言などを踏まえた上で総合的に判断し、その責任を負う。その判断には、軍人は従わねばならない。これが文民統制、シビリアン・コントロールである。