「新聞」考
ラジオが生活の場に姿を現したとき、新聞はいずれ無くなると言われた。
テレビがお茶の間を席巻し始めたころ、新聞の衰退は時間の問題と噂された。
そして現代。インターネットの登場が新聞にとって未だかつて無い脅威となっているらしい。
魚屋は魚を売る。八百屋は野菜を売る。では、新聞社は新聞を売っているのだろうか?
間違ってはいないが、新聞社の本当の商品というのは、新聞そのものではなく、そこに掲載されているあまたの情報なのだと思う。
新聞とは「いれもの」だとよく言われる。そこに記者が取ってきたネタを記事として入れ込む。
ネットのインパクトは、ほぼ間違い無く新聞の発行部数を減らす一因となる。日本より先へと状況が進行している米国や韓国では、既に衰退が著しい。
ぼくも含めて混同しがちなのだが、その衰えは入れ物としての新聞の有用性が低下してきた結果なのであって、そこに載っている情報それ自体の価値まで低く見積もられるようになってしまったわけではない、ということがある(もちろん「専門家には情報が少ないし、素人には難しすぎる」とよく言われるように、紙面そのものに対する不満も背景にはあるのかもしれない)。
見た目が不細工だからといって、中身まで性悪だと判断してはいけないのと同じことだ。
読者の求める情報を、読者にとって適切な形で提供することがこれからは今まで以上に重要となってくる。紙新聞を情報の入れ物としては不適切だと考える読者が増えているならば、容器を替えねばなるまい。
言い換えれば、根本の問題は好ましい容器の選択にあるのだ。
マスメディアとしての紙新聞の地位は低下するだろうが、好奇心という人間の本性に根ざした新聞屋(記者)という職業が、そう簡単に無くなるとは考えにくい。
人間が新しい情報を求める限り、手を変え品を変えながら、新聞は生き残る、とは思う。
新聞には、社会の出来事をできるだけ客観的に伝える報道機関としての役割と、世の中に意見を発信して世論をリードする言論機関としての役割がある。
これからは報道機関として生き残り、言論機関としては死滅するかもしれない。言論の機能は、方々に拡散してしまった。雑誌やネットジャーナリズムなどへと。
新聞は単なる情報の入れ物となり果てるのか…それはまだ分からない。
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