福田改造内閣をどう見るか〜小泉の残光〜

福田改造内閣が2日、正式に発足した。安倍内閣の居ぬきであったこれまでの内閣から、自前と呼んでも差し支えない大幅な改造となった。

現在の日本政治を見るにつけ、常に思うことがある。小泉元首相の遺産が持つ影響力の大きさだ。

広く経済政策を論じる場合、小泉路線か否か、という言い方がよくなされる。

小泉政治というのは新聞やテレビではほとんど総括されてこなかった。彼が退陣してからは、話題は若くて清新なイメージの安倍前首相へと速やかに移っていった。

アカデミズムの領域においては比較的その方面の研究が活発だが、従来からの俗世との没交渉で、その成果が巷間へと開陳される機会は少ない。


小泉路線とはいわゆる構造改革路線であるという。構造改革というと、小泉ではなく日本社会党の構改理論を想起する私は左旋回しているのだが、まあそれは置くとして、この構造改革、(国内外を問わず)市場からのウケは良いらしい。

思うにその所以は、構造改革という政策それ自体の評価と同等かそれ以上のウェイトで、小泉時代というのが、政治的リーダーシップの久々に復権したことで熱い視線が注がれた時期であったからではなかろうか。

首相が最高権力者ではないという日本政治のねじれを劇的に解消した小泉に、国民と市場は期待をかけたのではなかったか。

薀蓄を垂れる訳ではないが、リーダーとは「その当人が行わない限り起こりえないことをする人物(米国の政治学者、A.マクファーランド)」である。そのような人物をリーダーシップがあると人は言う。

また「ゆずるべきはゆずり、ゆずれないところは絶対にゆずらない」のもリーダーの責務である。


前置きが長過ぎた。福田改造内閣の評価ということが主題だった。

前段の文脈で言えば、今度の内閣の方針は修正小泉路線であるらしい。小泉改革の正すべきを正し、継ぐべきを継ぐ、ということのようだ。

しかしながら主眼は、国民に安心を与えることだと言う。

このいわば安心の供給は、政治の最低限にして最大の役目である。

そこを今一度声高に主張せねばならない状況を嘆くのは容易いが、そういうシニカルな論評は自分のもっとも忌避するところ。

今の私には政府の特別な援助は要らないが、それを必要とする人はたくさんいる。

誰も助けてくれない人を最後になんとしてでも助けるのが政府の仕事。

内閣が変わろうが何しようが、そこは外せない。

乱暴な議論だが、むしろそこさえしっかり抑えてあれば、あとはどうでもいいとさえ言える。

国民一人ひとりが各々の希望を十分に実現できる環境を整え(=規制緩和)、夢破れしときは政府が救いの手を差し伸べ、再挑戦の機会を掴む支援をする(セーフティネットの整備)。


脱線した。福田内閣うんぬんの話だった。

自民党役員人事からは、福田首相の政治的意図が垣間見える。

もちろん麻生太郎氏の党幹事長起用がポイントである。

首相の考えはおそらく、麻生氏を体制側に取り込むことでポスト福田の動きを大きく牽制し、また同氏の国民的人気を得て政権浮揚の原動力とすることにあるのだろう。これはマスコミでも言われている。

内閣人事の方は、前述したように修正小泉、更に言えば脱小泉の色が濃い。

1つは郵政造反組の閣僚起用。次に増税派の経済閣僚への任用。最後に大田弘子経財相の解任。渡辺喜美氏の免職もそこに加えるべきかもしれない。

非・純小泉だからといって、この人事を一概に非難することはできないし、すべきではない。まずはお手並み拝見である。いつ始まるか、その開始時期が不透明な臨時国会で大体は分かるだろう。現時点での評価は早計である。


今回の内閣改造には、上に挙げたもの以外に政治的に大きな意味がある。

それは政権の一翼を担う公明党との関係を語る上での話だ。

公明党が今年末か来年早々の総選挙を望んでいるという話は新聞などでもよく目にする。

その理由は来年の夏に行われる東京都議会選挙にある。東京都議会は公明党発祥の地であり、その議席を巡る選挙では決して負けられないのである。

そのために同党の支持母体である創価学会は、会員へ上京の大号令をかける。都議会選を戦い抜くため、学会の戦力を総動員する。

そこへ注力するため、できれば総選挙と都議会選挙は時期をずらして欲しいというのが本音らしい。


そしてここへきて、福田内閣自民党の長期低落傾向を憂慮し、彼らと距離をとろうとする発言が目立ち始めた。福田離れである。

しかしこれは、麻生幹事長というカードによって当面は防がれたと見るべきだろう。福田首相を引き摺り下ろすにしても、自民党内の勢力と連携しなければ事は運ばないのだ。

臨時国会の争点となる新テロ特措法の再々延長に関しては、3分の2での再可決、加えてみなし否決による再可決にも公明党は慎重である。


ここに政治的な取引を行う余地が生まれる。

つまり、公明党が新テロ特の成立を受諾する見返りに、今年末か新年早々に解散総選挙を実施するのだ。

うますぎる話だが、まったく無いとは言い切れない。


福田首相が内閣の改造に踏み切ったということは、自らの手で解散総選挙に打って出る意思を示したということだ。

読売新聞や日経新聞世論調査によると、新内閣の支持率は40%前後まで回復している。支持率では30台後半が、解散に踏み切る1つの目安とされる。

臨時国会の行方次第では、解散があるかもしれない。そして、無いのかもしれない。

解散があればおそらく現与党の勝利だろう。薄氷を踏むことにはなるだろうが。


べた凪の永田町に、再び風が吹き始めた。解散風という風が。





小泉政権について学者が述べたものの中で、比較的容易に手に入る文献のリスト。個人的には上から2番目の『小泉政権』がおすすめ。

ニヒリズムの宰相小泉純一郎論 (PHP新書)

ニヒリズムの宰相小泉純一郎論 (PHP新書)

小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか (中公新書)

小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか (中公新書)

首相支配-日本政治の変貌 (中公新書)

首相支配-日本政治の変貌 (中公新書)

「不利益分配」社会―個人と政治の新しい関係 (ちくま新書)

「不利益分配」社会―個人と政治の新しい関係 (ちくま新書)

【追記1】小泉政権やリーダーシップ論、また国家論については、後で独立した文章を書いてみたいと、このエントリーを執筆しながら考えた。

【追記2】小泉路線とは言うものの、純粋なそれは政治の世界で鳴りを潜めた感がある。自民党民主党も、政策的には修正小泉路線がコンセンサスとなりつつある。