甲信紀行

衝動的と言っていい。長野へ行った。

出発の前の日、就活で知り合った人と北千住で4時間近く話をし、その後すぐに大学の先輩と飲み、日付が変わったころ、高校時代の友人の家へ行き、泊まった。

宿を借りたはいいが部屋が熱すぎて、30分程度しか眠れず、早朝の4時頃には目が覚めてしまった。

短い別れを告げて、西荻窪駅へ向かった。

駅のホームには、まばらに人がいるだけ。ビニル袋に少年ジャンプを入れたおじさん、汗だくになってやたらうちわで扇ぐおじさん、缶チューハイを手に持った酔っ払いのおじさん。

4:53分発の高尾行きへ乗り込んだ。

終点へ近づくにつれて、徐々に街並みは山並みに姿を変えて、高尾へ着くころにはもう都会的な東京は鳴りを潜めてすっかり田舎。

ホームでタバコをふかすおばさんがいたが、スルーした。

次に乗った山梨県大月行きの電車から見える景色はもはや東京ではなく、連なる山々に霞がかかる様子は幻想的ですらあった。

そうこうするうちに大月へ到着し、甲府、松本と乗り継いで、長野へ着いたのはまだ朝の10時ごろ。

蛇足だが、地方のJR在来線は座席が豪華だ。山手線とは雲泥のちがい。とくに、松本−長野間を走る“みすず”号。椅子がふっかふか。身体が沈む。

長野に居ても実はすることがないので、そのまま帰りの電車に乗る。

途中、長野県千曲市にある“姨捨”という駅に止まった。そのホームから眺める景色は絶景だった。千曲市街地が「駅のホーム」から一望できる。

余談だがこの姥捨駅、日本で2箇所しか残存していない“スイッチバック”駅らしい。

更に余談だが、姨捨駅から望むこの風景、日本三大車窓に数えられていると聞く。

全体にもやがかかっていたのが残念と言えば残念だった。


どこの駅からだったかは忘れたが、ピンク色に髪を染め、口や耳に大小いくつものピアスをした青年が乗ってきた。

電車の中に知り合いがいたらしく、会話に花が咲く。

まあ主に話していた女の子は「キモイ、キモイ」と言うばかりだったが。

途中から同席していたおばあさん2人組は、その彼らの様子を一瞥し、そしてぼくを見ながら「ねえぇ、おにいちゃん」と話しかけてきた。

「そうですねえ」と適当に相槌を打った。

そのおばあさんが言うには、ピアスは耳が限度らしい。きわめて同感である。

これも余談だが、酒折という甲府の次の駅に停車したとき、車窓から緑に塗られた山肌がありありと見えた。

ん? これはデジャビュだぞ。なんだ、中国と同じようなことを日本でもやっているんじゃないか。一方的に中国人を笑えないぞと、そう思った。

ぼくに対して「ニコニコしたいいおにいちゃん」という最終的な評価を下したおばあさんたちは、石和温泉で下車された。

「お気をつけて」とおばあさん。

「ありがとうございます」とぼく。

心がほんわかと温まった。


甲斐大和駅では鉄道少年が、一眼レフのデジタルカメラをスタンバイして電車のホームへ滑り込む瞬間を今か今かと待ち構えていた。

入ってきた電車はあの“あずさ”だった。

「ちゃんと撮れたかい? 」と聞くぼくに、

「うーん、まあまあ」と返した少年はぼくに目を合わせない。

しかたない、どこからどう見てもあやしいもんね。


思いつきのわりには、よい旅でした。今度はちゃんと計画をたてて行こう。