この教師は正直か?
四川大地震は多くの子どもたちの命を奪い去った。運よく難を逃れたとしても、自分の帰る家を失い、また共に暮らす家族を亡くし、心に癒しがたい傷を負った子どもは数え切れない。
しかしこの教師に担任されていた生徒たちは、どのような感慨を抱くのだろうか。
中国四川省都江堰市の高校教師が四川大地震の際、生徒を残し校舎から真っ先に飛び出したことを「とっさの本能的な行動だった」とブログで告白し、全国的な議論を巻き起こしている。教育当局は解雇処分にしたが、国民の間では意外にも「正直だ」と支持が広がっている。
この教師は国語担当の範美忠さんで、地震の際に生徒の避難誘導や指示をせずに逃げた。ブログなどで「私は自己犠牲をする人間ではない」「生徒への愛情が足りなかったことは謝罪する。ただ私にも(自分の立場を表明する言論の)自由はある」と本音を吐露。
範氏の行動を「恥知らず」と全面否定する識者が範氏とテレビ対談したところ、インターネット上の投票では支持者数はほぼ拮抗(きっこう)。「道徳を振り回すより真実を語る範氏の方がいい」といった書き込みも目立つ。(共同)
なぜ逃げたのか? という問いに、この先生はきわめて正直に、そして率直に語っていると思う。その点は当然ながら非難されるべきではない。
ぼく自身は、彼の行動それ自体も、決して非難に値するものだとは思わない。誰しも自分の命は惜しいから。
まして彼は、この件で中華全土はおろか、世界中に自身の「醜態」を晒すことになってしまった。ぼくのような若輩にこうしてブログのネタにされてしまうのだから、いささか気の毒ですらある。
なのだがこの先生は、そう、教師なのである。逃げた行為自体は置くとしても、この範美忠さんは、教師に向いていない。
ぼくが中学生の頃の話。ある先生が、自分の娘にこう問いかけられたそうだ。そして、答えに窮した。
「お母さんは、私(娘)と生徒と、どっちが大切なの? 」
生徒を置き去りにして逃げる「教師」が信頼を得ることは無いだろう。そしてここまで事が大きくなってしまっては、範氏はもはや失ったものを取り戻せまい。
批判の矛先を向けるならば、この先生の行為それ自体ではなく、範氏の教師としてのあり方そのものだろう。
「あなたが逃げたことの是非は問いません。しかし、生徒を置き去りにしたあなたは、果たして自分が教師に向いているとお考えですか? 」
ぼくなら彼にこう尋ねる。
幸いなことに、と言ってはなんだが、置いてけぼりを食らわされた生徒たちは、全員無事であった。さらにこの範氏は、すでに教師の職を解かれている。
ならばそれでもういいのではないだろうか。国家を挙げてさらし者にされるほどのことを、彼はしていない。
やった事に批判の矢を向けるから、彼も対談番組なんぞに出演して必死に自己弁護をはかるのだろう。
教師としての素質を問えば、沈黙するのではないだろうか。
それでも反論を止めそうにない迫力が彼の顔にはあるが。
いずれにせよ、信頼していた先生に裏切られ、そして傷ついた生徒の心の動揺は、いくばくか。