鹿沼事件と国民の日記

ハエが2,3匹たかってきそうなクサい台詞だけど「新聞は国民の日記である」と誰かが言った。ちなみにぼくじゃありません。

なぜそうなのかと言えば、それは「読み返せる」からだと思う。テレビなら録画をしなければいけないから、日記にはならない。

そも、報道番組を録る人はそう多くない。

日記を読み返して過去に思いを馳せる。忘れかけた記憶をもう一度呼び覚まして風化させないようにする。

昨日の産経抄で採り上げられていた「鹿沼事件」

2001年10月、栃木県鹿沼市の職員が殺害された。職務上での逆恨みが原因だった。その遺体は今に至るまで発見されていない。

殺された小佐々守(享年57)さんは、公判中に声をつまらせながら裁判官が言ったように「公務員の鏡」のような人物であったという。

しかしそんな彼の戦いは終始孤独であった。周りは小佐々さんを助けようとはせず、市当局は暴力集団との対応を彼に一任していた。

そのあげくの殺害である。この事件は「行政対象暴力」が社会的に注目されるきっかけとなった。

詳しくは↓

狙われた自治体 ゴミ行政の闇に消えた命

狙われた自治体 ゴミ行政の闇に消えた命

地元下野新聞のジャーナリスト魂がひしひしと伝わってくる力作である。


忘れてはいけない、だけど忘れ去られてしまう。そんな事件を時折振り返って、教訓が今に活かされているかを検証する作業は、マス・メディアの担うべき大切な役割だと思う。

その点、今回の産経抄は珍しくいい仕事をした。

産経抄http://sankei.jp.msn.com/column/1221/clm1221-t.htm

生活保護不正受給の問題が最近はそうだが、なぜこういう事態になってしまうのか、問題の原因を調べて対応策を探らないといけない。

明日の食べものにも困る人々の生活保護を減額し、あまつさえ打ち切る一方で、暴力で脅してくる人間には唯々諾々と億単位の税金を支出してしまう。

これはなぜか、考えねば。


権力を敵に見立てないとコラムが書けない素粒子の某氏は、少しだけ見習ったほうがいいかもしれないね。