橋下徹大阪府知事の発言に思う

山口県岩国市の住民投票に対する、橋下徹大阪府知事の発言が物議を醸しているらしい。読売新聞から、引用させていただきます。

米空母艦載機の移駐問題を巡り、大阪府知事に就任する橋下徹氏(38)が山口県岩国市での住民投票を批判したことに対して、前岩国市長の井原勝介氏(57)は1日、2度にわたる記者会見で「橋下氏は府民の声を大事にすると言っていたのに、国策だとモノを言えないのか」などと反論した。橋下氏は「憲法を勉強してほしい」と譲らず、地方自治の在り方を巡ってバトルを繰り広げた。

 井原氏はこの日午前、地元での記者会見で「住民投票で住民意思が明確に示された」と主張。これに対し、橋下氏は府庁で「住民投票でなく市長が国にモノを申せばいい」と反論した。

 これに我慢ならなかったのが井原氏。夕方に再度、記者会見を開き、「民意に基づき国にモノを申している」と応酬。報道陣から反論を聞いた橋下氏は、憲法を根拠に「全部を住民投票でやるなら議院内閣制はいらない」と断じた。

その後の報道によれば、橋下氏はこの後、井原氏へ「憲法を勉強して欲しい」とも発言したとか。


一連の橋下氏の発言は、一体どのように解釈すべきでしょうか。

日本が議院内閣制を採用していることに関して、民意を国政に反映させるには選挙を通して(のみ)行うべきである、との考えを橋下氏は持っているのでしょう。もっとも、与党の支援で当選された方ですから、そこのところも鑑みなければいけないのかもしれませんが、政治家が公でした発言ですから、本意であるないに関わらず、責任はとらねばなりません。

率直に言えば、法的な拘束力がなんら生じることの無い住民投票に関して、憲法を持ち出してきてまでそれに疑義を呈するのは、あまりにナンセンスです。今回の岩国市の事例とは異なるものの、日本国憲法第95条には、住民投票に関する規定が紛うことなく存在しています。

もっとも橋下氏は、住民投票を全面的に否定するわけではないようです。防衛政策という国家安全保障の根本に関わる重大事を、住民投票ごときに左右されてたまるか、国の方針に逆らうな、極端に言えばそういう考えが介在しているのでしょう。

もう一度強調しておきますが、住民投票は単なる意思の表明であって、それによって直ちに法的な帰結を何らもたらすものではありません。それならば即ち、そういった行為は日本国憲法第21条「表現の自由」の行使に他なりません。

政治学的に見れば、橋下氏の発言には典型的なエリート主義のニオイすら漂います。一般大衆には政策を吟味する能力なんて無い、だから選挙で投票だけしていればいいんだ、余計な口出しをするんじゃない、と。かつては、選挙へ行かずに家で寝ていて欲しいなんてことをおっしゃった首相がおりましたね。

議院内閣制、特に日本のそれは、ただでさえ民意を反映させるルートが選挙に限られてきたのです(それから、利益団体のロビー活動)。多種多様な国政への政治参加のルートを確保することが、民主主義の質を少しずつ高めていくのだと思います。

かりに議院内閣制が橋下氏の言うような制度だったとして、ではなぜ、住民投票のような動きが出てきたのでしょうか。

それは当然、政治が民意を反映しきれていないからです。こういう状態を、エージェンシー・スラックと言います。

私は何も、民意がいつも正しいと言っているわけではありません。しかし曲がりなりにも民主主義を標榜する国家であるならば、国民の意見には最大限、耳を傾けるべきです。それがガス抜きに過ぎないとしても、それをやる責務があります。

そうして始めて、政治が決断を下す条件が整うのです。

もしその決断に不服があれば、次の選挙でその意思を表明すればいいのです。それが無駄に終わったなら、法的に許される限りの手段を尽くして、異議を申し立てるのです。

その手段は何も、レファレンダムやリコールといった方法に限られません。反対の住民を組織して運動をしても、雑誌に寄稿をしても、ブログに反対意見を綴っても、役所の前で座り込みをしても、いいわけです。

あなたの意見はいつか、政治に反映されるかもしれませんし、されないかもしれません。

いささか話がそれましたが、つまり今回の件に関して言えば、橋下氏の見解が間違っていると思います。彼の論法で行くなら、井原氏の「主権者である市民、国民が国政にものを言うのは当然だ。大阪でこういう問題が起きれば、国策だから府民の声は聞かないということなのか」という発言に対し、橋下氏が効果的な反論を行うことはきわめて困難でしょう。


橋下氏はまだ政治家としてのキャリアをスタートさせたばかりです。プロ政治家の堕落ぶりが指摘されて久しい昨今、宮崎県の東国原知事とともに、アマチュア政治家の旗手として、手腕を発揮していただきたいと思います。

今回の反省を活かして。