官と民について考える 〜造幣局民営化の事例から〜
先ごろ話題となっていた、独立行政法人の民営化問題。舛添厚労相ですら民営化に後ろ向きで、結局、渡辺大臣の孤軍奮闘ぶりだけが痛々しく私の目に映りました。
紆余曲折の結果、100ちょいある中から20くらいをとりあえず民営化しましょう、という方針が福田首相によって示され、この課題は決着しようとしています。というか、もうしたのかな。
民営化される法人リストの中に、造幣局がありました。ああついに、お札まで民間が刷る時代になったのかと、感無量でした(うそつけ)。
しかしこの造幣局の民営化、独立行政法人の民営化には賛成でも、これはちょっと無理なんでないかい? という意見が少なからずあったように思います。総論賛成、各論反対ってやつですね。
こういった思考の背景には「造幣という高度に公共的な業務は、公的な機関が所轄すべきではないか。」もっと俗っぽく言えば、「民間にお札づくりなんて任せらんねえよ、なにするかわかったもんじゃねえ、てやんでえ」といった民間蔑視的な発想が隠されているのではないでしょうか。
ミートホープ、赤福、白い恋人、船場吉兆などなど、民間の不祥事は事欠きませんが、それとは比較にならないくらい、お役所の怠慢ぶりは目に余ります。もちろん、がんばっておられる方が大半でしょうよ、個々に見れば。
率直なところ、究極的に政府が担うべき機能は、配分(利益とか価値とか法律とかね)を通しての社会秩序の維持(これもまた幅広い定義ではあるが)と、財政・金融政策を通じての市場秩序の維持、この2つしかありません。そのために政府は、物理的な強制力を正統に保持することが唯一認められているのです(誰がそんなこと認めたんでい、って疑問はありますけどね)。
役所にできて民間にできないことなんて、実は1つもないんですよ。役所がすべきかどうか、という問題であってね。
お札作りなんて、世界最高級の印刷技術を有する日本企業のことですから、なんなくやっていただけるでしょうね。もしなにか不正があったら、担当する企業を変えればいい、それだけの話です。
電子マネー華やかりし時代とはいえ、お札が不要になるなんてことが近い将来あるとは考えにくいですから、実に堅実な商売ができるわけです。見事落札した企業も、不正なんてしないように、がんばるでしょうよ。
つまり私が主張したいことは、民間だから信用できない、悪いことをするんだという、親方日の丸的な発想はすべきでないということです。
私はしかし、民営化絶対賛成論者ではありません。郵政公社や道路公団は、あのままでよかったのではないかと今でも考えています。その話はですが、また日を改めて。
それでは、また。