いまや鴻毛よりも軽い宰相の地位とは、いかにあるべきか

大学の友人が本を借りたいというので、部屋に呼んだ。というかむしろあちらが押しかけてきた。

彼が本を漁っていると、「これかっけー」と言うので「本がかっこいいって何だ?」と思いつつ問うてみると、ある文庫の帯を指差していた。

そこには「いまや鴻毛よりも軽い宰相の地位とは、いかにあるべきか」と書いてある。この文句が気に入ったらしい。

もちろん、そのときは気にも留めなかった。

NHKのニュースを見ていると、なにやらこのあとに総理の緊急記者会見があるとのよし。

なんだなんだと中々始まらない記者会見を待ちわびていると、突然にテロップが画面上に現れた。

福田首相、辞任の意向」

度肝を抜かれた。アダルト本を読んでいた友人に「おいっ!!」と声をかけて画面に視線を向けさせた。彼は手に持っていた本を床に落とした。


なぜ福田首相は辞任を決断したのか。総理は要するに「私じゃもうだめなんです」と言いたいらしい。しかし理由は他にもあろう。昨年の安倍前首相に続く突然の辞任。この背景には何があるのか。そしてそこから見えてくる現代日本政治の抱える欠陥とは何か。合わせて5点、指摘してみたい。

1.ねじれ国会の影響
昨年の参院選に敗れ、与党は議席過半数を失った。以前ならば野党の抵抗が激しくても審議を途中で打ち切り、半ば強引に議決へと持ち込むことができた。

しかしこうして国会における「数」を与党が失ったことで、政治は混迷の度合いを深めていく。

数の不足を補う知恵の1つが未遂に終わった大連立であった。今思い返せば、このときこの知恵が結果に結びついていたら、もう少し状況は上向いていたであろう。

要するに現代の日本政治は「数」を失うとこうも脆弱であるということだ。

2.熟議しない国会
数でどうにかならないならば、話し合いで結論を導かざるを得まい。

国会がこうした熟議の習慣に欠けることが残念でならない。議会制デモクラシーの本質は決断ではなく討議にこそあるのだが。

3.民主党の責任

福田首相の会見を聞いたが、率直なところあまり潔いものとは言えなかった。全編に渡って言い訳じみていたが、この中で、民主党が話し合いに応じなかったことを指摘し、これが辞任の決断に至った1つの背景にあることを示唆していた。

これはある程度妥当する見解だと思う。民主党としては、政権が近い段階で与党との協議に応じて譲歩するような姿勢をとることは得策ではないと判断していたようだが、これが福田首相の命脈を断った原因の1つだろうとは思う。


話はそれるが何より、自分たちは散々福田首相に辞任を迫っておきながら、いざ辞めたとなると以前までの言動は無かったかのように「無責任」だとのたまうのはそれこそ恥知らずだとぼくはここで指摘したい。「辞めてくれてよかった」くらい言えないのだろうか。

口先にすらも責任を持てないみじめな野党の姿が顕わになった心境である。

4.福田首相の責任

とはいっても、福田首相に最大の責任があることは間違いない。こういった危機にこそ政治力を発揮して事態の打開をはかるべきではなかったのか。

窮地に陥ったから辞めてしまうというのでは、あまりに無責任である。

もちろん総理には総理の事情があったのだろう。安倍さんとは違い周到に計画された辞任であったと既に何人かの識者が述べていたが、それはそれこれはこれ。無責任の謗りは免れまい。

5.これからの日本政治

いわゆる「ねじれ」を如何に解消すべきか、与野党は真剣に知恵を絞らねばならない。

総選挙か、大連立か、政党再編か、政策協議機関を設置するか。

「政局」をどのように乗り越えるか。着実に「政策」を立案・実施していくにはどうするべきなのか。

混迷する政治に飽き飽きするのはほんとうによく分かるが、目を離さずに見て行きたいと自分は考える。



思いついたことを殴り書きしたので乱文・悪筆・論理破綻は何とぞご容赦を。ぼくも興奮しています。

でもこういうときにちゃんと政治学の知識を援用して書けるといいんだけどね。

それはまた後で。


しかし面白くなってきた。麻生太郎新首相の下で年内にも解散総選挙か!?

それでは。

総理の座 (文春文庫)

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【追記】案外と福田内閣は長持ちするかもしれないというぼくの予想はものの見事に外れましたとさ。

まあでもホントにいろいろ大変だったんだとは思います。お疲れ様でしたくらい、言ってさしあげてもいいのではないかと。

【追記の追記】公明党の姿勢がやはり大きく影響したのだろうか。

しかしこの党、30そこそこの議席でこれだけのパフォーマンスをあげるとは。まったく彼らの思い通りに事が進んでいるじゃないか。