映画「靖国」上映中止に思う

反日的な内容であるなどの理由で多くの映画館が次々と上映中止に追い込まれている、昨今にわかに人口に膾炙し始めた感のある話題の映画「靖国」。

この件に関して在京・在阪民放10局の報道局長が連名で映画館側の対応を憂慮する声明を発表した。


待て待て、と思う。憂慮すべきは映画館側の対応ではなく、そういった上映中止のプレッシャーをかけてくるデモクラシーの何たるかをまったく解さない三下な人々の暴力だろう。

映画館の支配人たちだって、自分の映画館やまして自らの生命の危機が感じられる中で映画を流そうとはゆめゆめ思うまい。

ぼくは言論・表現の自由を自分の命をかけてまで守ろうだなんて露ほども思わないし、思いたくない。

誰だって自分の命は惜しい。生命の危機に晒されれば、多少の妥協は仕方がない。卑怯と非難する人はいるだろうが、ではあなたは死んでも守り抜くのですか? とぼくは問い詰めたい。

「死んでも守る!」などとぬかす人に限って、自分は絶対に安全なところでどっかりと座り込んでいるだけに違いない。

「死んでも守れ!」と命令する人はほぼ間違いなく、他人に死を押し付けておきながら、自分は危機を目の前にして一目散に逃げ出す輩だ。


自分だけが死んでも〜という気概で守ればいいのに、それを他人に押し売りしてくるからこういう人たちは非常に厄介だ。新聞じゃないんだからさ。


繰り返すが、非難すべきは不当な圧力の出所であって、映画館側では断じてない。


デモクラシーにおける闘争は言論をもってのみ行うべし。


このルールを守るために政府のみが正当な暴力行使を認められている(誰がいつどこで誰に認めたんだという疑問は置いておくにしても)。


しかしこれは多数派に属する人間が弄するレトリックなんだろうか。

言論だけで戦っていては埒があかない。そう思う人たちも大勢いるだろう。テロリストとかね。


なんとも難しい。だけど難しいからこそ考え続けていかなくてはならない。



ああ、重い。重いよ内容が。もっとポップな話題はないか! いっぱいあるんだけどさ。



※写真は本文とはまったく関係ありません。